呪術廻戦「存在しない記憶」の正体は?東堂と脹相の違いを解説
こんにちは、エンタメノートのアカエイです。
呪術廻戦を追いかけていると、どうしても気になるのが、あの存在しない記憶という謎の現象ですよね。
虎杖と戦っていたはずの相手が急に親友や兄弟としての思い出に浸りだすシーンを見て、一体何が起きているの?と疑問に思った方も多いはずです。
ネット上では虎杖の洗脳術式説や記憶操作能力についても議論されていますが、実際の正体や理由は作中の設定を細かく見ていくと、実はもっと別のところに答えがあったりします。
この記事では、呪術廻戦の存在しない記憶がアニメで何話なのか、そして東堂と脹相でなぜあのような現象が起きたのかを整理してお伝えします。
虎杖の術式の真相についても触れていくので、読み終わる頃にはモヤモヤしていた謎がスッキリ解決するかなと思います。
漫画やアニメの描写を振り返りながら、一緒にこの不思議な現象の裏側を覗いていきましょう。

- 東堂葵と脹相で起きた現象は全くの別物であること
- 虎杖悠仁に記憶を書き換える術式は存在しないという事実
- 脹相が虎杖を弟だと確信した呪術的な理由と設定の深掘り
- アニメや原作漫画で該当シーンをすぐに見返すための情報
呪術廻戦の存在しない記憶の正体とメカニズムを解説
虎杖の記憶操作術式や洗脳説を公式情報ベースで否定

物語の中盤、東堂に続いて脹相までもが虎杖との「ありもしない過去」を思い出したことで、ファンの間では「虎杖の術式は記憶操作や洗脳なのではないか?」という説が非常に根強く囁かれました。
確かに、全く無関係な二人が相次いで同じような反応を見せれば、そう疑いたくなるのも無理はありませんよね。
しかし、結論から申し上げますと、虎杖悠仁が相手の記憶を改変するような術式を持っているという事実は公式に否定されています。
作者の芥見下々先生は、テレビ番組「漫道コバヤシ」のインタビューなどにおいて、東堂のケースと脹相のケースはそれぞれ全く異なる理由で発生したものであると明言されました。
そもそも呪術廻戦の世界観において、術式というものは脳の構造に刻まれた「設計図」のようなものです。
虎杖は物語開始時点では術式を持たない素人として描かれており、もし記憶操作のような強力な術式を持っていれば、宿儺や五条悟がそれを見逃すはずがありません。
また、記憶改変は物語のバランスを崩しかねないほど強力な力であり、真っ向勝負を信条とする虎杖のキャラクター性とも乖離しています。
「存在しない記憶」というフレーズは、あくまでナレーションや読者への演出上の共通表現として使われているに過ぎず、虎杖側が意図的に発動したものではないというのが、現在の公式情報に基づく最も正確な理解です。
東堂葵の存在しない記憶は本人の妄想?発動の理由

次に、京都校の東堂葵に起きた現象を詳しく見ていきましょう。
東堂が虎杖を「マイ・ブラザー」と呼び、中学時代の甘酸っぱい青春の思い出を語り出したシーンは、初見では誰もが「何が起きたんだ!?」と困惑したはずです。
しかし、これは虎杖の能力によるものではなく、100%東堂本人の「妄想」と「思い込み」による暴走です。
東堂には「女の好みが合う奴に悪い奴はいない」という独自の価値観があり、虎杖が自分の理想とする「背が高くて尻の大きな女の子」をタイプだと答えた瞬間、東堂の脳内で「こいつは魂の親友だ」という結論が先に出てしまいました。
彼の脳は、その強烈な確信を補完するために、本来あるはずのない過去の記憶を瞬時にデコレーションしてしまったわけです。
東堂が見た記憶の中では、アイドルの高田ちゃんまで登場して二人を祝福していますが、これは東堂のパーソナリティが色濃く反映された結果と言えます。
東堂はもともと、退屈な日常を嫌い、自分の理想とする世界観を現実に投影するような精神的強さ(あるいは異常さ)を持っています。
呪術師としての実力も折り紙付きですが、それ以上に「自分が信じたいものを真実とする」というキャラクター性が、あの「存在しない記憶」という演出を引き起こしたのです。
したがって、東堂のケースにおいては、虎杖の介入は一言の回答だけであり、記憶の生成自体は自給自足で行われたと考えるのが妥当ですね。
脹相が見た記憶は血の繋がりと術式の干渉が原因

東堂のケースがコミカルな妄想だったのに対し、渋谷事変で脹相が経験した「存在しない記憶」は非常にシリアスで呪術的な背景が深く関わっています。
九相図の長男である脹相は、弟たちの死や異変を遠く離れていても察知できるという特殊な性質を持っています。
これは彼が持つ「赤血操術」と、血を分けた兄弟としての強固な繋がりから生じる生物学的なセンサーのようなものです。
虎杖を追い詰め、とどめを刺そうとした瞬間、脹相の脳裏に「食卓を囲む兄弟たちと、そこに馴染んでいる虎杖」の光景が流れ込みました。
これが起きた理由は、脹相のセンサーが「目の前にいる虎杖」を「死に直面している弟」として誤認したからに他なりません。
脹相にとって、自分の手で弟を殺すという行為は本能的に受け入れがたい矛盾であり、その強烈な違和感が脳にバグを起こし、過去の平穏なイメージを「記憶」として出力してしまったのです。
これは東堂の妄想とは違い、呪術的な設定に裏打ちされた異常反応です。脹相自身もこの現象に激しく動揺しており、「何だこれは、あり得ない」とパニックに陥っています。
つまり、虎杖の出生の秘密が脹相の「血」に反応した結果であり、術式による攻撃や洗脳ではなく、血縁関係という強力な伏線が引き起こした事故のような現象だったと言えます。
二人の現象が別物である理由と術式説が広まった背景

なぜここまで「術式説」が広く信じられるようになったのか。
その大きな要因は、物語の構成が非常に巧妙に作られていた点にあります。
読者はまず東堂のケースを見て「そういう演出かな?」と思い、次に脹相のケースを見て「またか!これは虎杖の能力に違いない」と確信を深めるように誘導されました。
いわば、芥見先生による壮大なミスリードだったわけです。
しかし、細部を検証すると両者には明らかな違いがあります。東堂は「理想の仲間を見つけた喜び」が記憶を作り、脹相は「兄弟の死を感じる苦痛」が記憶を作りました。
入り口は「虎杖との接触」ですが、出口である記憶の内容や、それを見た後の反応が正反対なのです。また、虎杖の母親とされる人物の正体が明かされるまで、読者にとって虎杖は「全くの謎に包まれた存在」でした。
謎の多い主人公だからこそ、どんな特殊な能力があっても不思議ではないという心理が、ファンたちの間で術式説を加速させたのだと思います。
結果として、この二つの現象は「虎杖悠仁という人間が、本人の意志とは無関係に他者の人生を狂わせ、あるいは救ってしまう」という物語上の役割を果たしました。
単なる「便利な洗脳能力」とするよりも、キャラクターそれぞれの背景に根ざした現象であるとする方が、呪術廻戦という作品のテーマである「呪い」や「縁」の深さがより際立ちますよね。
複数の要因が重なって、たまたま同じような見え方になったという構造こそが、この作品の面白いところだと私は感じています。
呪術廻戦の存在しない記憶をアニメで観るなら何話?

あの衝撃的な「存在しない記憶」のシーンを、アニメの美麗な映像や声優さんの迫真の演技でもう一度体験したいという方は多いでしょう。
東堂編と脹相編では演出のトーンがガラリと変わるため、見比べることでそれぞれの本質が見えてくるかもしれません。
ここでは、それぞれの初出となるアニメの話数を一覧にまとめました。
| 対象キャラクター | アニメの話数 | サブタイトル | 原作該当箇所 |
|---|---|---|---|
| 東堂葵 | 第1期 第15話 | 京都姉妹校交流会-団体戦①- | 第5巻 第35話 |
| 脹相 | 第2期 第37話(通算) | 赫鱗(かくりん) | 第12巻 第106話 |
アニメ第1期での東堂のシーンは、まるで別の学園アニメが始まったかのようなポップで明るい演出がなされています。
これは東堂の妄想がいかにポジティブで(彼にとって)幸せなものであるかを強調しています。一方で、第2期の脹相のシーンは、不気味な静寂と違和感に満ちたホラー映画のような演出です。
この演出の差こそが、両者が「同じ言葉で括られながらも全く別次元の現象である」ことを視覚的に証明しています。
特に脹相役の浪川大輔さんの、混乱と絶望が入り混じった演技は必見ですよ。これから見直す方は、ぜひ音響や色彩の違いにも注目してみてください。
呪術廻戦の存在しない記憶と兄弟の謎を深く読み解く
脹相と虎杖が兄弟とされる呪術的背景と九相図の絆

脹相が虎杖を「弟」と呼び、命を懸けて守るようになる変化には、極めて具体的な呪術的背景が存在します。
脹相を含む「呪胎九相図」は、明治時代に史上最悪の呪術師として知られた加茂憲倫が、呪霊の子を孕む特異体質の女性を利用して作り出した九体の呪物です。
彼らは人間の母、呪霊の父、そして加茂憲倫の血という三つの要素を持って生まれてきました。
そして、虎杖悠仁の出生を紐解くと、彼の母親である香織の体に「羂索(けんじゃく)」という呪詛師が入り込んでいたことが示唆されています。
この羂索こそが、過去に加茂憲倫として九相図を作り出した張本人です。つまり、脹相たちの「親」である羂索が、虎杖をも生み出していたという共通項が浮かび上がります。
生物学的な厳密な定義はさておき、呪術的なルーツにおいて彼らは紛れもない「兄弟」なのです。
脹相にとって、弟は何よりも尊い存在です。彼ら兄弟は「九人で一つ」という強い帰属意識を持っており、その絆は死すら超えるものとして描かれています。
だからこそ、自分の術式が虎杖を「兄弟」として感知した際、脹相はそれを受け入れざるを得なかったわけです。
あの「存在しない記憶」は、バラバラになっていた家族の絆が、呪術的な繋がりを通じて無理やり結合された際に出た火花のようなものだったのかもしれません。
この重厚な背景を知ってから二人のやり取りを見ると、涙なしには追えなくなりますね。
渋谷事変の戦闘中に起きた異常事態を原作漫画で検証

原作第12巻、第106話「渋谷事変㉔」において、脹相の身に起きた異変は非常に細かく描写されています。
虎杖との死闘の末、勝機を掴んだ脹相が最後の一撃を放とうとした瞬間、世界が静止したかのような感覚とともに「平穏な食卓」のビジョンが差し込まれます。
この時、ナレーションで「脹相は悟る。それはあり得ないはずの、しかし否定できない光景」といった趣旨の言葉が添えられています。
注目すべきは、脹相がこの記憶を見た後に、激しい頭痛と混乱に襲われ、戦線を離脱している点です。
もしこれが虎杖による洗脳攻撃であれば、虎杖はそのまま追撃できたはずですが、実際には虎杖自身も何が起きたか分からず困惑していました。
原作を読み返すと、脹相が自分の頬を叩き、「俺は狂ったのか?」と自問自答するシーンがあり、これが外部からの攻撃ではなく、内面的な崩壊であったことが示されています。
また、この記憶の中で虎杖が脹相を「兄ちゃん」と呼んでいることが、後の展開における重要なフックになっています。
ただの妄想であれば、ここまで正確に「羂索を介した兄弟関係」を示唆するような内容は出てこないはずです。
原作の緻密なコマ割りを確認すると、脹相が感じた「血の異変」がいかに圧倒的で、抗い難いものであったかが痛いほど伝わってきます。
この一連の流れは、呪術廻戦という物語における最大の転換点の一つと言っても過言ではありません。
虎杖の出生に隠された伏線と記憶改変の関連性を考察
ここで少し、虎杖自身の出生と「記憶改変」の関係についても考察を広げてみましょう。
虎杖は、祖父から「お前は強いから人を助けろ」と遺言を授けられましたが、彼の存在そのものが他者の人生を強烈に引き寄せる磁石のような役割を果たしています。
東堂や脹相が、初対面あるいは敵対関係にありながら、最終的に虎杖を「かけがえのない存在」として認識し直す過程は、ある種の運命的な強制力を感じさせますよね。
羂索が虎杖を作った目的はまだ完全には解明されていませんが、宿儺の器としての耐久力だけでなく、こうした「他者との強固な繋がりを無意識に形成する」ための何らかの仕掛けが施されている可能性は否定できません。
ただし、それはあくまで「因縁」や「血」といった呪術的なレベルの話であり、ボタン一つで記憶を書き換えるようなインスタントな能力ではありません。
虎杖の出生に隠された伏線が一つずつ回収されるたびに、「存在しない記憶」というワードが持つ意味も、単なるギャグから宿命的なキーワードへと進化していったのは、読者として非常に興味深いポイントでした。
公式見解から紐解く虎杖悠仁の能力と術式の真実

物語の最終盤にかけて、虎杖がどのような術式を覚醒させ、どのように戦っていくのかは大きな見どころです。
しかし、どれほど物語が進んでも、「存在しない記憶を植え付ける能力」が彼の主力として扱われることはありません。公式ガイドブックや作者のコメントを総括しても、虎杖の本質はあくまで肉体と魂、そして他者から受け継いだ意志にあります。
虎杖の術式に関する真実は、彼が宿儺の器として過ごした期間や、九相図の残りを体に取り込んだことなど、複雑な要因が絡み合って形成されています。
初期のファンが予想したような「便利な洗脳使い」というイメージとは真逆の、非常に泥臭く、それでいて深みのある力が彼の真実です。
もしあなたがまだ「いつか虎杖が記憶操作を使いこなす日が来るのでは?」と期待しているなら、その予想は良い意味で裏切られることになるでしょう。
結局のところ、呪術廻戦という作品における「能力」は、その人の「生き様」そのものを表しています。
虎杖は嘘や偽りで人を動かすような人間ではなく、真っ向からぶつかり、傷つき、それでも立ち上がることで相手の心を動かしてきました。
東堂も脹相も、最終的には虎杖のその「真っ直ぐさ」に魂を揺さぶられたからこそ、あの奇妙な絆が成立したのだと私は信じています。
補足情報
作品の最新設定や公式見解は、連載状況や新刊の発売によって更新されることがあります。考察を楽しむ際は、常に最新の単行本や公式発表をチェックすることをお忘れなく!
呪術廻戦を全話お得に視聴するならU-NEXTが最適

さて、ここまで「存在しない記憶」の謎について語ってきましたが、やはり百聞は一見に如かずです。
東堂のハイテンションな妄想シーンや、脹相の震えるような衝撃の瞬間を、ぜひ配信サービスで体感してみてください。数あるサービスの中でも、私が特におすすめしたいのがU-NEXTです。
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呪術廻戦の存在しない記憶のまとめと視聴方法の案内

今回の記事では、長年の謎であった「呪術廻戦の存在しない記憶」の正体について、東堂と脹相の違いを中心に詳しく解説してきました。最後に、重要なポイントをギュッと凝縮してまとめておきますね。
- 虎杖の記憶操作術式説は公式に否定されている
- 東堂のケースは、好みが一致したことによる本人の妄想と脳内補完
- 脹相のケースは、血の繋がりを察知する能力が極限状態でバグを起こした結果
- 虎杖と脹相は、羂索を介した呪術的なルーツを持つ「兄弟」である
- アニメでの演出の違い(明るい東堂 vs 重苦しい脹相)にその本質が現れている
このように、「存在しない記憶」は一つの便利な能力ではなく、キャラクターたちの強烈な個性や、過酷な運命が交錯した結果として生まれた「奇跡的な誤解」と「残酷な真実」の表れだったと言えるでしょう。
呪術廻戦という物語をより深く楽しむために、ぜひこの背景を意識しながら、アニメや漫画を改めてチェックしてみてください!
視聴方法に迷っている方は、見放題配信が充実しているU-NEXTなどの公式サービスを検討してみるのが一番の近道かなと思います。
皆さんも自分なりの考察を深めて、呪術廻戦の世界を存分に堪能してくださいね。それでは、また次回の記事でお会いしましょう!
※記事内で紹介した設定の解釈は、あくまで一般的なファンコミュニティや公式資料に基づくものです。物語の結末や詳細な設定については、ぜひご自身の目で原作の完結までを見届けていただければと思います。


